デジタル化のメリットとデメリット

「いけばなを3Dで体験する」という、このアプリのコア機能については、開発を始めてから何度も立ち止まって考えてきました。 確かにデジタルには制約もあるけれど、それを補って余りある大きな意味があると思っています。

メリット ― 敷居を下げるという役割

一番大きなポイントは、やっぱり「敷居を下げられる」ということです。 本来いけばなを始めようとすると、まず「やってみたい」という気持ちが必要で、そのあとに教室を探して、見学や体験に行って、ようやく最初の一歩が踏み出せる。ところが、その途中に「難しそう」「お金がかかりそう」「道具を揃えるのが大変そう」といったイメージが壁のように立ちはだかる。結局、興味があってもそこで諦めてしまう人が大半なんじゃないかと感じています。

正直に言えば、自分も昔はそうでした。いけばなについては「日本の伝統文化のひとつ」というくらいの認識しかなく、どこか古くて堅いものというイメージが強かったんです。だから「自分がやる世界ではない」と勝手に思い込んでいましたし、触れる機会もまったくなかった。そんな人は、今の時代たくさんいると思います。

でももし、スマホのアプリストアを何気なく見ているときに「いけばなラボ」を見つけて、気軽にダウンロードできるとしたら? アプリを開けば、まずは他の人の作品を眺めて楽しめて、自分でも簡単に花を選んでいけてみることができる。さらにはARで部屋に飾って「お、意外といいじゃん」と思えたら、それだけで「やってみようかな」という気持ちにつながる。

こうした体験を通じて、いけばなの世界に触れるハードルをほんの少しでも下げられるのではないか。これこそが、このアプリが果たせる一番大きな役割だと感じています。

もちろん、その先でもっと本格的に学びたい人は、実際に教室を探したり、先生に習えばいい。デジタルはあくまで入口でしかありません。でもその入口があることで、いけばな人口が少しでも増えて、日本の伝統が次の世代につながっていく。そんな流れを作れたら嬉しいなと思っています。

その上で、「デジタルならではのメリット」もたくさんあります。花材や花器を自由に選べる、季節に関係なくどんな花でも使える、失敗してもすぐにやり直せる、作品を複製できる。タップするだけで左右反転させて、本勝手・逆勝手を花材そのものから変更できる。こうした便利さは、現実では絶対にできないことです。

さらに、自由な色合いで新しい表現を試したり、すでにいけばなを習っている人や先生方にとっても、新しい発想のきっかけになるかもしれません。

色々な枝葉のメリットはありますが、結局のところ一番大切なのは、「以前の自分のように、いけばなに触れる機会がなかった人」に少しでも体験のきっかけを提供すること。そこから新しい入口が開けていくのだと思っています。

デメリット ― 再現できないリアル

一方で、デジタルにはどうしても限界があります。

例えば、実際のいけばなでは茎を自由に切ったり曲げたりできますが、3Dデータではそれができません。長さをあらかじめ決めた範囲で調整できるようにはしましたが、本物の自由さには遠く及びません。剣山の使い方や水回りの処理も、やはりリアルとは違うものになってしまいます。

また、本来のいけばなは「どの花材を選ぶか」から始まります。市場に並んだ花を見たり、ときには自然から枝や草を取ってきたりして、季節や状態を見極めながら「今日はこれを使おう」と決めるところから作品作りは始まっています。けれどアプリではその体験までは再現できず、用意されたモデルの中から選ぶだけになってしまいます。

さらに難しいのが「時間の経過」の表現です。生の花だからこそ、咲き進んだり枯れたりと変化していき、その移ろいも作品の魅力の一部になります。けれどデジタルでは常に同じ状態のままで、その変化を取り込むのは今の仕組みでは難しいのが現状です。

さらに、3Dモデルのリアリティにも限度があります。リアルさを追求すればするほどデータ容量やコストが膨らみ、スマホでは動かなくなってしまう。だから「どこまでリアルに作り込むか」と「どこで割り切るか」を決める作業が常に必要になります。専門のモデリングの方からも「目的が敷居を下げることなら、ある程度のデフォルメでいいのでは」というアドバイスをいただき、実際その通りだと思いました。

そして何より難しいのは、花そのものの「表情」をどう再現するかということです。実際の花や枝は一本一本が違う環境で育ち、それぞれに個性や表情があります。その一本一本の表情や形の違いを「どうすればこの花が一番輝くか」を考えるのがいけばなの魅力のひとつです。

しかしデジタルでは、モデルを複製すれば全部同じ表情になってしまう。色を変えることはできても、「一本一本が違う」というリアルな魅力までは再現できません。池坊の生花(しょうか)でいえば「出生(しゅっせい)を活かす」という考え方がありますが、それをデジタルに落とし込むのは難しいのが現状です。

将来的には、同じ花材でも「表情のバリエーション」を持たせられるようにしたいと考えていますが、まだアイデア段階にとどまっています。結局のところ、リアルにはどうしても勝てない。だからこそ「リアルと勝負しない」という割り切りが必要だと思っています。

リアルに勝とうとしない

結局のところ、リアルには叶いませんし、勝負すべきでもないと思っています。

デジタルはあくまで「入口を広げる」ための手段。アイデアを試すための手段。リアルの代替ではなく、リアルに触れるためのきっかけを作る存在です。

勝負するべきではないが、アイデアを試すレベルにはリアル感が必要、入口になる程度にはリアル感は必要、というバランスを保てるようモデルの開発も進めてきました。

だからこそ、デジタルでしかできないメリットを最大限活かして、いけばなに興味を持つ人を増やす。 それが「いけばなラボ」の目指す姿だと考えています。